店内

本格的な商家造りの店内には、手造りの品々の他、味噌造りに使用していた醸造器具や、江戸時代からある帳場など、アンティーク家具の展示の他、蔵座敷には大きな黒漆喰の扉があり、買い物をしながら歴史を感じることが出来ます。

土蔵

長い年月をかけて棲みついた「家つき酵母」が漂う土蔵には木桶が並び、磐梯山の伏流水で仕込んだ味噌・醤油は、会津盆地の清澄な空気の中、季節の移り変わりとともに発酵・熟成していきます。

製法

当蔵では、麹は麹蓋(こうじぶた)を使用して丁寧に製麹(せいぎく)しており、醤油は今では珍しい「もろみ」から仕込みを行い、木桶の中で長い月日をかけて発酵・熟成させている天然醸造の本当の「手造りの味」が味わえます。

会社概要

■会社名

八二醸造有限会社

■所在地

〒969-6543

福島県河沼郡会津坂下町字市中二番甲3631

■電話番号

0242-83-2051

■FAX番号

0242-83-2114

沿革(髙久家系譜)

寛政二年以前

会津藩の奨励による特産品のタバコ(銘柄:稲川)、薬用人参などの製造販売をし、江戸と取引をする。

寛政二年(1790年)

初代髙久源右衛門により、味噌・醤油製造業を創業。

文化八年(1811年)4月13日

数々の金員を藩に奉じ、上下御免(裃(かみしも)の着用免許)を賜る。

天保四年(1833年)9月26日

御本陣に於いて郡(こうり)奉行小野権之丞様ご出席にて苗字御免(髙久)を賜う。

天保六年(1835年)3月17日

郡庁において帯刀免許の仰せを蒙る。

天保十三年(1842年)4月13日

勤勉に商売に励んでいたのが評価され、会津藩御用達となり、御合力米二十俵を賜う。

明治元年(1869年)

戊辰戦争時、西軍小倉藩に店舗を接収され、野戦病院として多くの戦傷者が収容された。小倉藩士である生田孫八郎(没22歳)、岩竹伝七(没24歳)の2名が当家で戦傷死し、会津坂下町にある光明寺に埋葬され、今でも当家が弔っている。

明治18年(1885年)

醤油免許制となる。

明治19年(1886年)

質屋業を副業とした。(明治36年の日露戦争頃まで)

明治29年(1896年)

保険代理店を引き受ける。(明治生命、大阪火災など)

昭和52年(1977年)1月12日

「八二商店」から「八二醸造有限会社」へ会社化した。

平成23年(2011年)3月11日

東日本大震災にて、蔵が半壊。

翌年に修復し、今に至る。